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「(……あぁ、なんだろ、この状況は)」
 シロは自分の前に差し出されたカレーを見つめながら何度考えたかも分からない疑問について頭を悩ませていた。
 先ほども同じことを考えていたが、状況はまるで違う。
 まず、ここがバイオレットの住む家だということ。
 次にここに向かう途中で偶然にも出会ってしまったコガネとバイオレットの兄妹であるトランもいるということ。
 最後にこの4人で丸テーブルを囲み、カレーを用意されているということだ。
「さぁ、遠慮せずに食べてくれ」 
 トランは笑顔を浮かべながら、同じように笑顔を浮かべるコガネに言った。
 ただし、シロはそのコガネの笑顔がキレる寸前の溜めのようなものだと知っていた。
 そして、下手に何かしようものなら攻撃対象にされることも知っていた。
 そのことを知らないバイオレットも俯いている。
「いらないわ。シロの時のように何をされるかわかったものじゃないもの」
「嫌われたものだね」
 コガネの言葉にトランは演技くさく肩をすくめる。
「しかし、私は結局のところは何もしてないのだよ?」
「はぁ?」
 トランの一言にコガネとシロは素っ頓狂な声をあげる。
 クロに呼び出された日に精神操作を仕掛けたと言った人間が何を言っているのか、と。
「恥ずかしながら、精神操作を仕掛けたはいいが、見事に失敗してしまっていてね……いや、成功すると思っていたんだけどね」
 トランは頭を掻きながらそう言った。
「……で、まさかアンタは自分の技量不足で失敗したことを理由に何もしてないだなんて言うのかしら?」
「あくまで結果論で言えば、さ。それに、失敗したのは私の技量不足じゃなくてシロ君の魔法のせいさ」
「俺の……?」
 シロは耳を疑った。
 自分にそんな魔法を無力化することが出来るとは思えなかったからである。
「いや、正確に言えば彼らの君を守りたいという想いか。さすがはヒル……」
 トランは途中で言葉を止めた。
 彼の目の前にはコガネの拳がある。
「人の話してる最中に殴りかかろうだなんて、さすがにどうかと思うけどね」
「……どこまで知ってるのかしら」
 その顔には既に表情は見えなかった。
 ただ、返答次第ではすぐにでも殴りかかる意志だけが見えた。
 それを見たバイオレットはあからさまに椅子ごと後ろに後ずさっている。
「ちょ、ちょって待てよコガネ!」
 シロは慌ててコガネをなだめた。
 このままではヤバいと本能的に感じたのだ。
「アンタは黙ってて」
 しかし、コガネは視線さえ向けずにそう言った。
「まったく、君は少しは話し合おうとは思わないのかい?」
「ご託はいいからさっさと答えなさい」
 シロはいつもとは違うコガネに戸惑っていた。
 普段から理不尽だとは言っても、シロ以外の人間には基本的に口が悪いだけなのだ。
 それが今はいつ殴ってもおかしくない状況なのだ。
「そこまで多くのことは知らないさ。ただ、君たちの知らないことでもそれなりには知っているという程度だろうね」
 こんな状況であるにも関わらず、トランは余裕そうに喋っている。
「例えば、あの飛行機事故の主犯とかね」
「飛行機……事故?」
 シロはトランが言ったことを繰り返し、頭の中で反芻する。
 そして、それがすぐに自分の巻き込まれた事故だということに至った。
 しかし、その瞬間に次の疑問が浮かぶ。
 何故、事故なのに主犯がいるのだろうか、と。
 その答えもすぐに分かったが、思考が落ち着くことはなかった。
 むしろ、焦燥が生まれ、さらに混乱していく。
 まともに考えて話す余裕などなかった。
「単刀直入に言おう」
 トランはそこで一旦、言葉を区切ってから言った。
「その主犯たちを倒すため、一緒に戦ってくれないか?」 
 夕刻。茜色に染まった部屋の中、シロの時間は静止していた。
時間が静止すると言っても、何らかの魔法によって本当に時が止まっているわけではない。それはただの比喩的な表現であり、ようするに時が止まっているかのごとく、今のシロには動きがなかった。
 いや「動きがない」というよりは「動けない」という方が適切なのだろう。シロをそのような状態に追いやったのは、彼の正面に座っている紫色の髪をした少女。
 夕暮れ時で、世界全てが茜色に染まるからだろうか……彼女の両頬は心なしか赤いように見える。いや、シロの視力はこれでもいい方だ。日々死にたいオーラを醸し出している彼ではあるが、別に自殺願望があるわけでもなく、健康管理は意外にしっかりしている。
 そんな裸眼1.5という無駄に優良な数値を持つ彼の瞳には、確かに頬を紅潮させ――心なしか所在無さげに俯いている少女の姿が映っていた。
「(……あぁ、なんだろ、この状況は)」
 心の中でそうぼやきながら、シロは人知れず天を仰いだ。と言っても別に面白くもなんともない自分の家の天井を見たかったわけではない。単に、そう――初々しく頬まで赤らめている彼女を見ていると、見つめすぎていると、その、なんというか、自分が何か悪いことをしているような錯覚に陥ってしまいそうになるのだ。
「(こういう時……どうすればいいんだろ)」
 心底ヘタレである白髪の少年は、心の中で嘆息しながら、密かに困り果てていた。

 その数時間前のこと。学園からの帰り道でほぼ必然的に(待ち伏せとも言うが)バイオレットと一緒になったシロは、彼女と雑談をしながら歩いていた。
 何の事はない。ただ、今日受けた授業とか、通学途中で見かけた少し面白いことだとか、そんなレベルの雑談……もっとも、普段はコガネ以外にほとんど話し相手を持たないことに加え、そのコガネとは今一歩まともに会話が成り立たないことが多いような気がしていたシロとしては、まともな人間とありきたりな会話をしているだけでも結構楽しかったが……そんな風に雑談している間にシロの家の前に着いた。
「あ、もう……こんなところまで来ていたんですね」
 少しの驚きと、名残惜しさを感じる声でそう告げるバイオレットに対して、別に気の利いた台詞を言えるわけもなく、そうだね、と普通にシロは返す。
 この数日間――コガネと共に生徒会室に呼び出され、コガネの思わぬ発言によって彼女が自宅謹慎をすることになった翌日から、バイオレットはこうして帰路に着くシロを待ち、自然な流れで一緒に帰っていた。偶々なのか……それとも彼女が無理に合わせているのかはわからないが、進行方向は同じでシロの家の方が近かったので、この数日間はいつもシロの家の手前で、彼らはわかれていた。
 そして、今日も――とシロは思っていたが、彼女は違っていたようだ。
「あ、あの、シロさん」
 また明日、と言ってそのまま去ろうとしていたシロは、バイオレットの呼びかけに応じて立ち止まり、振り返り彼女を見る。
 まだ夕刻には少し早いが、時間帯のこともあって赤らみ始めている光に照らされながら、彼女は少しの逡巡の後に、それ以上の勇気を以って言葉を紡ぐ。
「あの、今日は、その……一緒に、お茶、でもしませんか……?」
「え……」
 思わず聞き返すシロに対し、少し慌ててバイオレットは視線を逸らしながら、
「あ、いえ、嫌だったらいいのですけど。その、お兄ちゃんが迷惑かけたから、お詫びも兼ねて……そ、それに、いい茶葉が手に入ったので」
 そう言ってバイオレットは鞄から包みを取り出しながら、心細げにシロの表情を窺う。
「あの、ダメ、ですか?」
 そう言う彼女の瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。

当然ではあるが、シロがこれを断れるわけがなかった。

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